妙見の歴史は折橋に始まる

創業明治十二年 霧島、妙見温泉の歴史は折橋に始まる。 霧島の天降(あもり)川と中津川が合流するこの辺りは、折橋と呼ばれていました。 

宝暦二年(1752年)に、ここに住む折橋左門という人が、川岸に泉源を発見し湯壺を作ります。

当時から鉄や明礬(みょうばん)など泉質の種類も多く湯量に富む温泉だった様です。明治十年(1877年)、西南戦争で傷を負った薩摩軍の兵隊が湯に浸かり、その効能を伝え、「折橋」の名が広く知れ渡ったとされます。 

おりはし旅館の創業

明治十二年、島津家の漢方医であった久木田五介が、当地の払い下げを受け、五介の長男久木田五郎が自炊設備を整備し多数の湯治客を迎えられるように施設を栄えさせました。 

五郎は外科医でもあったことから、鉄湯は外科的治療に効果があり、療養の湯「キズ湯」として折橋温泉の存在と効能を広く世に知らしめることになりました。 

妙見は温泉地として発展を始め、中でも久木田氏の手法は高級旅館としての評判を得て、大正、昭和初期にかけては鹿児島の奥座敷として上流階級の人々や当日の著名人に愛されてきました。 

そして時代は現在

おりはし旅館は明治の創業から140有余年が経ちました。

時をこえ、歴史をつなぎ
これからも訪れるお客さまにとって
くつろぎの宿であるよう精進してまいります。 

料理でのおもてなし

折橋の入口に橋が架かるごとく、料理の中に思いの橋を架けたい。風情ある宿であることを料理の中にも表現したい。 

山、川の地のものに鹿児島ながらの海の素材、食の文化をどう融合させていくか、小手先ではない味の料理を提供してまいります。 

施設でのおもてなし

様々な著名人に愛された風情溢れる離れがあります。 

川沿いの離れは目の前の天降川の流れが手を伸ばせば届くようにあざやかで、施設を取り巻く竹林とそこから裏山へと登る道筋には、生活圏の近くであるということを忘れさせてくれる別世界が広がります。 

そしておりはし旅館の中心、木造2階造りの本館は、水害を乗り越え移築された大正時代のロマン溢れる木造建築です。 

一期一会のおもてなし

そして何より人と人でのおもてなし。 

女将をはじめスタッフ一同、お客さまが日常を忘れ、くつろぎのひとときをお過ごしいただけるよう、おもてなしの心で寄り添いご一緒いたします。 

妙見大橋を渡り、明治十二年創業の「おりはし旅館」でみなさまのお越しを今日もお待ちしております。